1、 水野竜也がもらったのは、不幸の手紙なのか。


最近、サッカー部キャプテンの水野竜也は、練習中によく視線を感じていた。
―――あ、まただ。
対武蔵野森戦が終わって二週間近く経った、ある日の朝練中。視線に気づいてから、何度となく教室を見たが、いまだに正体がわからない。朝練昼練は、外のほうが明るいので建物の中などよく見えないのだ。
「水野? どうかした?」
声に振り返ると、パス練を組んでしていた森永だった。え、と思って彼の足元を見るとボールはなく、かといって自分のところにもない。あわてて見回すと、苦笑した森永が言った。
「いや、すっぽ抜けちゃって。謝ったら水野、ボールの方の俺の方も見てなかったからさ。……教室に気になることでもあるの」
こういうとき、森永は無駄にからかってこないからすごく助かる。そして、ごめん、俺またコントロールミスったな、と言って水野の左後ろでフェンスと仲良くなっていたボールを取りに来た。水野の方がボールに近いのは明らかなのに、この友人は気を使うのが上手い。
「いや、すまんちょっと休憩にしないか」
「うん、それは構わないけど……どうしかした? ここんとこ、しょっちゅう教室気にしてない?」
訝しげな顔の森永。気づかれていたのか、と水野は嘆息した。
「ああ、まあ……何か、強い視線を感じるんだよな。こう、監視されてんじゃないかと疑いたくなるくらい」
「監視? なんか物騒だな」
「すまん」
「や、何で謝るかな水野。でも、視線ねー……俺、全然わかんなかっ」
「何だよー、お前のファンクラブの熱ぅい視線じゃねえの?」
高井は、必ずこういう話につなげようとする。こんなことも一度や二度ではないので、ウザいという気持ちをこめて冷たい視線をプレゼントすることにした。
「高井、あとで校庭走ってこいな」
「は!? なんで!!」
「体力つけてくれないと俺たちMF陣は試合後半にパス出す相手いなくなって今のパス練も無駄になって困っちゃうんですがお分かりいただけてませんか」
わざと抑揚なく一息で言ってみた。森永も調子をあわせて無駄に何度も頷いている。
「ああ、こういうとき風祭さんなら、『そうだよね、水野くん、森永、ごめん!』とかいってすぐに走りに行ってくれるのになあ」
「オイ、あいつを引き合いに出すなよ。まっとうに14年生きてた俺は、世の中に合ったカラダに成長したの。つうか水野、自分も練習中よそ見してたんだから、それでチャラにしてくれよ」
水野が苦笑した。見られてたか。
「高井はスれただけでしょうが。まーあんなに素直なひとも、いまどき珍しいのは確かだけどさ」
「だよな。でも頑固だけどな。あいつ、怪我治るまでおとなしく休むと思うか?」
これには森永だけでなく、水野も、そばに来たほかの桜上水メンバーもはかったように同時にため息をついた。アンニュイな雰囲気の男が10人近く。登校中の周りの生徒が、朝っぱらから変なものを見た、という顔をしている。
「いや、絶対無理だろうねえ。風祭さん、今日あたりから部活来ちゃうと思うな」
「もう二週間ですもんね」
「俺は明日かな。顔見に、とか言ってボールに触れようとするぜ、絶対」
「僕、風祭先輩といえば河川敷だと思います」
「野呂に賛成」
「あ、せやったら賭けへん? 駅前の鯛焼き屋、今セール中やねん」
「お前が食べたいんだよな、シゲ」
「いややわタツボン、そうに決まっとるやろ? あのツナマヨはごっつ美味いで! んでカザのこっちゃ、部活来て駄目やゆわれたら、こっそり河川敷にも行くやろ」
「風祭さんだからねえ」
森永の言葉に、しみじみ頷く一同。
「せやから、忠告がてら差し入れでもせえへん? っちゅーわけで、や。賭け外した奴が、カザと当たった奴の分奢りな。俺明日の放課後に一票」
「異議なし。ボール触ったらアウトでいいんだろ? じゃ今日の放課後に一票」
「あーわかったわかった。河川敷はジョギングコースだから確認してやるよ。」
「さっすがタツボン、わかっとるやん」
「タツボンはよせ。あ、俺も明日の放課後な」
「わたし、野呂に賛成です。今日の夜、河川敷」
「じゃあ俺はぁ……」
結局賭けに発展するメンバーたち。どこからかシゲがメモを取り出して、手際よく記入する。水野はそれを横目に見ながら、ああ、結局あんまり練習してないな、昼みっちりやるか、などとぼんやり考えた。そしてふと時計を見たときには、朝練を終わらせるはずの時間をとっくに過ぎていた。
「おい! 皆、時間がやばいぞ。さっさと着替えて教室行け。遅刻すんなよ!」
どうやら遅刻すると怒られるのは、生徒よりも顧問の香取先生らしい。朝練に参加していないのにとばっちりもいいところだろう(いや、そもそも顧問が参加していないこと自体も問題なのか?)。
キャプテンは、部室の鍵閉めも仕事のうちである。着替えの遅い数人を急かし、部室に鍵をかけて走り出す頃には、朝礼3分前だった。そのため、結局水野も、森永や高井も、視線のことは全くもって忘れてしまっていた。


朝礼2分前、水野が急いで下駄箱にたどり着き、上履きを取ろうとして開けると、いつものようにファンレターが入っていた。一足先に履き替えたシゲと高井が、それを目ざとく覗く。
「……あらぁミズノセンパイったら、あいかわらずおモテになりますことぉ」
「なりますことぉ」
「なんでオネエ口調なんだよ高井。シゲも乗んな!」
キモさの二乗!!という顔を隠しもせずに言う水野。その手には、4通の手紙。ちなみにシゲの手にも2通ほどあったりするが、これもいつものことである。
「そないにゆわれてもー、ってタツボン、なんやそれ」
「タツボンって言うなってば。何、ってなんだよ」
シゲが今更自分のもらった手紙に関して何か言うとも思えず、水野は、ボタンでも掛け違っていたかと自分の体を眺めおろした。なにせ、今日はあわてて着替えた自覚がある。しかし、階段途中の踊り場の鏡で見ても、異変はない。
「や、ちゃうから。手紙や。レター」
「は?」
「なんや、カミソリレターみたいなん混じってへんか?」
「え、マジ? 水野」
「どれが? ていうか、なんでだ?」
言われたことが分からず、手紙を差し出すと、シゲが一つを指差した。
「これやこれ。こないな封筒、ファンレターにしては地味やんな?」
「ああ・・・・・・っていうか、コンビニとかで束になって売ってるやつじゃないのか、これ」
伯母の孝子に、なんでもいいから買って来て、といわれてこの色違いのを買って帰り、えらく怒られた記憶がある(何でもいいって言っても、センスのいいものに決まってるじゃない!! とすごい剣幕だった。無論買いなおしに行かされた)。
「まあ、だれもファンレターに好んでは使わねえよな」
ブルーグレーの、無地の封筒。手触りもべつにつるつるしていたりなんかしない。宛名は、整った字で水野竜也様。裏を見ても、記名がない。ほかの3つのファンレターは、何をそんなに誇示したいのかと思うほど、名前の部分がカラフルになっていて、シールなんかもたくさんで、水野はいつもそれを見るだけでげんなりするのだが。
「ま、開けよるときは気ぃ付け。手に軽い怪我、やったらサッカーには関係ないし、かまへんかもしれんけどな」
「水野、彼氏持ちにでも惚れられたか?」
「……知るかっ!」
「いやーなんつうか、男のシットはこえーな」
「なんやジャッキー、わが身を振り返っとるんか?」
「ちげえよ!! つかうっせーよシゲ!!」
結局、心配してくれているらしい。水野は軽く苦笑で返して、じゃあ、と言って自分のクラスに入った。
おはよう、と言うクラスメイトにおざなりに返事をしていたが、そのとき、

「――――?」

何か、ひどく強い視線を感じた気がしてあたりを見回した。誰か、今俺を見てた――?
「おはようございまーす、HR始めますよー」
入ってきた教師の声に、我に返って席に着く。
今の、朝の奴と同じか? もしかして、それってカミソリレターの犯人? ってことは、犯人はクラスメイトなのか?
水野は、見た目は無表情に保ちつつ、頭をフル回転させた。とりあえず、開けてみて。なんでもなかったら、高井たちに心配ないって言っておきたいし、本当にカミソリだったら日常でも用心するに越したことはないしな。ああ、でも授業中に開けてみて手でも切ったら、想像したくない事態になること必須だ。上手く開けても、机の上にカミソリがある、と隣の生徒が驚いて騒いだりするかもしれないし。やはり1時限目の前に開けてしまおう。あ、でも実際カミソリが出てきたら、捨てようにも、どうすればいいものなんだ? セロテープで巻いたりしてから封筒に入れなおせばいいか……??
そんな日に限って朝のHRは長く、終わると授業が始まるまでもう4分しかなかった(くそ、体育祭のことなんて、まだどうでもいいだろうが)。
とりあえず、水野は例の手紙を軽く振ってみた。封筒の中では何も動いていないようだった。
一息ついて、封筒の一辺をはさみで切った。そして、おもむろに机の上で逆さまにし、(中身が飛び出ない程度に)かるく揺する。

ぱさ。

軽い音で出てきたのは、四つ折のルーズリーフだった。厚さからして、二枚はあるだろう。封筒を覗き込んでみても、他に何も入っていない。封筒自体も、どうやって見ても、何の変哲もない。
別に。何もない、じゃないか。
あまりのあっけなさに、一気に全身の力が抜けて、水野は出した手紙を読まずに机の上に上半身を伏せた。というか、へたりこんだ。なんだよ、シゲの奴、脅かすなよな。
風変わりなファンレターのせいで、朝から妙に疲れた。その姿を、ひとりのクラスメイトがじっと観察していたことも、全く気づかないほどに。

そんな水野の気分を無視して、黒板ではもう数学が展開されている。
全科目をとりあえずそつなくこなし、数学は特に得意科目に分類される水野だが、なぜかこの先生とは気が合わない。やる気はないに等しかったが、とりあえず体を起こして、聞いているふりをした。
と、机に出した手紙、というかルーズリーフに目を向ける。この手紙の差出人は、本当に変わっている、と水野は思った。見た感じ、折りたたまれたルーズリーフの中で蛍光ペンが炸裂している様子はないし、判読できない(というかしたくない)ほど顔文字が乱舞している感じでもない。
もちろん、今までの手紙にもいくつかはまともなものがあったが、本当に数えられるほど、いくつかしかなかった。水野は、俺に好意を持ってくれているならこの嫌がらせみたいな文体はなんなんだろう、女子中学生の思考回路は永遠に理解できない、と真剣に思ったことがある。
ルーズリーフは、そんな水野の思考も知らずに鎮座ましましている。
ちらり、と黒板を見て、先生が長い例題の解説に入ったことを確認し、水野にしては珍しく―――本当に珍しく―――手紙を開いてみた。
数十秒で読み終え、そのまま教室中をぐるりと見回す。じゃあ、あの強い視線の意味は、もしかして。
もう一度手紙に目を落とした。簡潔に言えば、それはマネージャーになりたい、というものだった。今まで何回かそういうことがあったが、サッカーのルールも知らないんじゃあ、などと体よく断ってきた。しかし、どうやらこの手紙の差出人は、ルールは知っているらしい。というか、もしかすると、珍しく本当にまともな人材かもしれない。
無印の封筒に、学校の購買で売ってるルーズリーフ、媚も好意もない文面。手紙にしたのは、その他大勢の便乗を避けるため。返事も手紙で、とあり、どうりで二枚目のルーズリーフにはなにも書かれていないわけだ。用意周到だ。面白い。
たぶんクラスの奴だろうな、と思ってまた教室に目を向けたところで、件の教師と目が合ってしまった。ジャストタイミングで、例題の解説が終わったところだ。教師が、にやり、と笑った。
「練習14、水野、黒板でやれ」
普通なら、1分なり2分なり解く時間を与えるくせに。
言っても仕方のないことなので、水野はおとなしく前に出て、さっさと解いて何も言わずに席に着いた。正解だったようで、教師の眉がひそかにつりあがっている。そのとき、
いつもこうなるんだから、当てなきゃいいのに。
と、水野の後ろのほうで誰かが呟いた。その言葉は、水野を擁護しよう、というより、純粋に教師のバカさ加減に呆れている、という響きがあって、心のなかで全くだ、と同意する。おそらく独り言だったのだろうが、さて誰の声だったか。
後ろ、に座ってる女子で、声が聞こえる範囲。深山さん、高瀬さん、あと小島さん、くらいか?
―――そういえば、小島さんはサッカー上手いんだっけ。
彼女と同じ小学校出身の奴が、言っていた気がする。でも、清楚な長い黒髪とサッカーが結びつかないので話半分に聞いた気がする。
まあ想像を働かせていてもしょうがないので、とりあえず返事を書いた。会って話したいから、できれば部活終わるまで待っててもらえないか。部室裏なら誰も来ないだろうから、会ってみて決めさせてくれ。と
休み時間になって、指定された下駄箱の上にルーズリーフを置きに行きつつ、水野は、こんなに放課後が待ち遠しいのは珍しい、とひとりごちた。だから、2、3、4時限の授業の内容をあまり覚えていなくても、仕方がないかもしれない。既にいつものメンバーには、話があるから屋上で昼飯を食べようと伝えてある。

昼休みになるとすぐ、水野は屋上へ向かった。
「よ、タツボン。どないしたん、早いやん」
「シゲ、お前こそ。って、どうせさぼったんだろ」
「お見通しやん、さっすがキャプテン」
かか、と笑ったシゲに、水野は嘆息した。
もう、付き合いもだいぶ長い。シゲはこれで一応頭はいいし、誰が何を言っても本人の意に沿わないことは聞き入れないと知っている。これがシゲのスタンスなんだ、と1年の時に納得してからは、水野は口を出さないことに決めていた。そうしたら、シゲは水野に、サボりを誤魔化さなくなった。
「お、水野、シゲ、早えじゃん」
 入ってきたのは高井で、後ろから森永、最後に風祭が顔を見せたのを確認し、水野は本題に入ることにした。
「突然だけど。皆、マネージャーって欲しいか?」
その一言で、皆が一瞬凍りついた。
座ろうとしていた風祭も、その風祭のために場所をあけていた森永も、その森永の弁当から豚のしょうが焼きをパクろうとしていた高井も、我関せずと菓子パンの袋を破っていたシゲさえも。
あまりに微妙な反応に、水野はちょっと驚いた。
「あれ、いらないのか? お前たち、欲しがるかと思ったのに」
「いや、いらないわけじゃねえよ、っつかむしろ、かなり欲しい。切実に欲しい」
「高井、切実に、とか思ってても言うなよ。泣けるだろ」
「だって、考えてもみろ!! いたら、どんなに心洗われるか……!!」
「うん、えーと、僕はべつにどっちでも、って思ってるけど。いてくれたら、助かるかもね」
と、次々に肯定的な意見が飛び出し、水野はさらに頭をひねった。
「じゃあ、最初の反応は何なんだ?」
「や、それはそのう……ねえ、森永氏」
「で、ですねえ高井氏」
「はあ?」
「いや、いいんだよ水野気にしなくて。むしろ、世の中気にしなくていいことでいっぱいだ!」
「そうだよ、水野! だって知ってた? 宇宙の構造についてなんて、まだ7パーセントしか解明されてないんだって! でも一般の人は残りの93パーセントについて考えたりしないよね! 気にしなくても生きていけるもんね! そういうこと!」
ね、風祭さん、と振られて、風祭は思わず頷いた。でもその論理展開はいまいちよくわからない、と思った。
それは水野も同じだったらしく、
「で、何なんだ結局」
ちょっと苛立った声で再び聞いた。と、口を挟んだのはシゲだった。
「せやから、マネージャーは嬉しい、でもまさか女嫌いのタツボンがそないな美味しいハナシもって来るやなんて思いもせえへんかった、んで皆して驚いたんやんな」
「誰が女嫌いだよ」
「ほれ、正直にゆうたら自分不機嫌なるやろ。ま、高井と森永も誤魔化しかたっちゅーやつをわかっとらんのう」
「そう思うなら最初っからフォローしてくれよ、シゲ」
先ほどの自分たちのあわてっぷりがバカらしくなって、二人は少し肩を落とした。
「で、もう何でもいいけど、マネージャー、入れていいんだよな?」
もはや言葉じりには反応するまい、と思いつつ、水野は聞いた。見回すと、満場一致で可決のようだ。
「しっかし、水野がその気ってことは、ファン系じゃないんだろ? よく発見したな。誰だよ?」
「あ、今朝の手紙の差出人なんだよ。しかも匿名」
「え、水野くん、手紙って?」
今朝の事情を知らない風祭たちに、水野は簡単な説明を加えてから、例の封筒を見せた。
「ほんとだ。僕、これセブンで見たことある」
「だろ?」
「水野、これ俺らも読んでいいか?」
「いいんじゃないか」
すでに封筒に手をかけながら言う高井に、水野がこともなげに頷く。
皆の期待が集まる中、高井がルーズリーフを取り出した。それを、シゲが無造作に、しかしすばやく掠め取った。
「あっ!! シゲてめえ、返せ! っていうか、読ませろ!」
「ほーう」
「シゲ、次オレオレ」
途端に手紙に群がる一同。アメに群がる蟻もびっくりのすばやさだった。置いてきぼりを食った風祭が、とりあえずおむすびを咀嚼する音が、とてもよく聞こえる。
 いち早く読み終えたシゲが手紙をほおり投げ、「あーーッ!!!!」という悲鳴が屋上にこだまする。うるさい、とにらみつけた水野に向かって、シゲがウインクした。
「ま、ええんやないの。マネージャー」
何が悲しくて男からウインクされなきゃならないんだ。
という憤りをこめて、水野はシゲに蹴りをお見舞いした。利き足である左足を使わなかっただけ、感謝してもらいたいところだ。

そんなこんなのうちに、昼休みは幕を閉じたのだった。


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