明日晴れるか 01

 
 
 将軍・徳川慶喜を追って、一路江戸へ――。
 
 
 鳥羽伏見の戦いから撤退した新選組は、すぐに江戸へ出航することとなった。
 ひとまず大阪の拠点ともいえる京屋に帰り着いたものの、隊士たちの顔は暗い。戦っている自軍を見捨てたとも言える、将軍への憤りを、どこへ持っていけばよいものか。また、試衛館時代から共に新選組を支えて来た井上を含む、複数の隊士が死んだことも大きかった。
 広間にたちこめる血臭が、負傷者の多さを物語っている。
 

  □■□■□

 
 京屋に到着しても、千鶴は、ぐずぐずと落ち込んでいる暇もなかった。
 医者の娘程度の知識でも、手伝えることは多いはず。そう思って広間に駆けつけた千鶴をみとめて、松本が近づいてきた。
「千鶴くん……ありがたい。ひどい有様だからな」
「……そう、ですね……」
 狭い床には、怪我人がひしめいている。
 軽傷を含めると、ほぼ全員が何らかの傷を負っているのだ。中には、よくぞここまでたどり着けた、というほどひどい怪我の者もいた。
 
――これが、負け戦か。
 
 ひどい患者は松本が、比較的軽傷の患者を千鶴が受け持つ、という大雑把な割り振りだけを決め、その後はさながら戦場だった。
 ひっきりなしに、包帯を裂き、血を止め、添え木をあてなおし、薬を塗って、さらに薬を作り足す。すぐに、汗だくになった。
 薬も清潔な布も少なく、人手も足りない。
 千鶴は助手に数人隊士を連れ、部屋を奔走した。
 
「雪村、次はこいつを頼んでいいか」
「はい……固定がずれてるので直しましょう。少し痛いですよ」
「……頼む」
 
「薬と包帯を……すみません、手伝いお願いします。ここに触れないようにしながら、こう巻いてください」
「こっちだな?」
 
 彼女も、土方の小姓になってもう長い。それなりに顔は覚えられているようで、そこかしこから声をかけられた。
 
「お疲れ、雪村。次はあの角にいる奴を」
「……この人は……。
 ……移動で、傷が開いてしまっています。すぐ松本先生をお呼びしてください。急用です、と」
「ああ、わかった」
 
 その隊士は、足に受けた銃創がひどく膿んで、組織を腐らせそうになっていた。このままいたら、本当に足を切断するか――最悪、死に至る。
 とりあえず消毒薬を手に、患部の様子を確かめる千鶴のところに、松本がかけつけた。ひと目見て顔をしかめ、近くの隊士に火をおこすよう申し付けた。
「こいつは……。千鶴くん、君の小太刀を借りてもいいかね?」
「あ……はい、私のでよければ」
 どうにもならないほどに化膿させてしまった場合は、患部を皮膚もろとも抉り取るしかない。当然、そのための太刀は、消毒しなければならない。この場合、一番手早いのは、直接火で炙る方法である。
 千鶴とて、代々伝わる刀に愛着がないわけではないが、それでも刀と共に生きている隊士たちよりは、抵抗が少ない。
「すまんな――なに、変形したりはせんよ」
 すまなそうに笑う松本に、千鶴も笑み返して、小太刀を火にかざした。
 大規模な処置を前に、自然と汗がにじんだ。じわり、と柄を握る手が、湿り気をおびる。
 刃の両面をよく炙っていると、ふと一瞬、鼻をかすめた臭いがあった。
「……?」
「どうしかしたか?」
「あ、いえ」
 きょろきょろとあたりを見回す千鶴に、松本が怪訝な眼差しを向けた。
 周囲には隊士たちの荷物が散らばっている。そのうちの一つからの臭いだろうか。
――何というか、烏賊のような、海産物のような。
(……でも、この小太刀でそんなもの切った記憶もないし……)
 松本の扱う、新しい薬品の臭いかもしれない。
 千鶴は首を振って気持ちを切り替え、小太刀を握りなおして、患者へ向かった。
 
 
 一区切りついたときには、もう夜の帳が重厚に空を覆っていた。細かい用具の片付けをしようとする千鶴を、松本が押しとどめる。
「もう充分だよ、助かった。
 明日はもう江戸に向かうのだからな。千鶴くんも、今日は早く休みなさい」
「ありがとうございます。でも……まだ、手伝えることがあれば」
「気持ちはありがたいが、お陰でここの処置はだいたい済んだよ。
 ……血の臭いに慣れる前に、風呂でも浴びてきなさい」
 
 苦笑する松本の周囲は、確かに相当に血の臭いが充満していた。千鶴も医者の子だから、患者を前に逃げ腰になることはまずない……ないが、しかし血のにおいを嗅ぎ続けるのは気持ちのいいものではない。
 松本の気遣いをありがたく受け取り、千鶴は部屋を辞した。
 
 
□■□■□
 
 
 千鶴はここでも、贅沢にも一人部屋をもらえていた。
 月明かりがわずかに入るだけのその部屋は、布団を一枚敷くだけでいっぱいになるような狭さだったが、土方には本当に感謝してもし足りない。一般隊士と雑魚寝をするのは、彼女の性別を考えると、色々な意味でリスクが大きすぎた。
 
 明日も早い、早く寝なければと、布団を敷いて、準備を整えている間中、何だか額の辺りがうずいて、千鶴は落ち着かなかった。
 額の両側が熱いような――正確には、こめかみのすこし脇、目の真上あたりが左右とも、熱い。
 これは簡単には眠れないかもしれない、と思いつつ、高く結っていた髪をほどく。
 はらり。
 肩に落ちた髪を、手櫛で整えようとして――
「……え……?」
 するりと、ひと房を手に取る。
 夜闇の中、奇妙にきらめいている気がする。
 闇に溶けるはずの黒髪には決して作れないつやが、そこにはあった。
 
 月明かりだけで充分に輝く、銀の髪が。
 
「……っ?!!」
 
 あわてて、額をまさぐる。
 さきほどうずいていたあたりに、確かなでっぱりを探り当てて、千鶴は凍りついた。
 角、だ……!!
 額の角、そして銀の髪。
 
―――これは、まるで、鬼の姿だ。
 
 かろうじて悲鳴を飲み込めたのは、単に声が出なかっただけで、千鶴の功績ではない。
 呼吸をするたびに、のどがひゅうと鳴る。そのわずかな音でさえも、千鶴にとっては恐怖だった。
 もし、誰かが異常に気づいて、入ってきたら。
 この姿を見咎められたら――?
 
 もちろん、今までも自分が鬼だという思いはあった。傷の治りが早いこと、銃撃を避ける動体視力。
 でも、それはどこか漠然としていて……そう、人間の延長のように感じていたのだ。
 けれど、これは、『違う』。
 額に存在を主張する角と、宵闇をはじく銀髪。
 布団の中でも、手の爪の形まではっきりと見え、隣室の隊士の寝息がよく聞こえる――人間の五感より、はるかに鋭敏なのだ。
 
……これが、鬼か。
 
 人間ではない生き物。
 私は、人間ではなくて、鬼なんだ。
 「自覚」するとはこういうことなのだ。
 
 以前、不知火と戦闘になったときに、千鶴は肩を撃たれた。
 その傷は、みるみる治った――原田の目の前で。
 そのときの原田の表情が、千鶴には忘れられない。ただの驚きだけではない、あの表情。
『あいつの顔、見ただろ。あれが本音だ』
 不知火の言葉は、正しい。
 そして、原田はもっと正しかった。
 千鶴自身がずるずると自覚していなかった『化け物』の部分を、ちゃんと嗅ぎ取っていたのだ。
 
 もし、今のこの姿がもし晒されたら、自分は一体どんな扱いを受けるのだろう。
 
 好きな人たちの口から、排斥の言葉を聞くのは怖い。
 特に――あの人の顔を見るのが、怖い。
 
 
 
 千鶴は、布団を頭からかぶって、まんじりともせずに夜を明かした。
 明け方近くになって、ようやく額から角の感触が消えたときには、声を殺して、少しだけ泣いた。
 朝焼けをはじく、いつもの黒髪が、これ以上なく愛しく思えた。
 
 
 
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