明日晴れるか 07
山崎は千鶴にとって、厳しい監視者であり、さりげない手助けをしてくれる者であり、また医術を扱う仲間だった。
彼の生家は医者だったから、松本に見初められて段々と医術を習得していたのだ。
ともに見習いの立場の二人だったが、切ったり縫ったりといったいわゆる外科は山崎が秀で、薬の処方や調合・風邪の診断など、内科は千鶴の分野だった。
土方から仕事を言い付からない日には、二人で医術の話をしたこともあった。
ほとんど笑ってはくれない人だったが、千鶴が何か薬について講釈したときなどには、ちらりと笑みを見せてくれたものだった。
――そんな彼の葬儀が、大勢の悲嘆に包まれて、しめやかに行われていく。
千鶴の目の前で、山崎が水葬されてゆく。
肩の傷をおして現れた近藤が、人目をはばからず涙をこぼすのを、千鶴はどこか信じられない気持ちで見ていた。
冷たくなった山崎が、凍えるような一月の海に、ゆっくりと沈んでゆく。
誰かが漏らした嗚咽が響いた。
それは千鶴自身のものだったかもしれないし、土方のものだったかもしれない。
山崎は仕事のときによく覆面をしていたけれど、実は少し息苦しい、とこぼしていたことがある。
水のなかは、寒くて、暗くて、そしてもっともっと息苦しいだろう。
いつでも副長に付き従っていた、忠実な人。
新選組を支えていた人だった――それも、もう過去形になってしまった。大切な人が、だんだんと欠けていく。叫び出したいような、息ができないような、焦燥感が千鶴を包む。
最後に山崎と話せたのは、いつだったろう。戦に行く前に、千鶴の怪我を心配して訪ねてきてくれたときだったろうか。
絶対に最期まで見失うまいと思って目をこらすと、熱いものがぱたぱたと頬を伝い落ちた。
視界がぼやけて、とても見にくい。もう、山崎がほとんど見えない。
「あまり泣くな。……冥福を祈ってやれ」
硬く低く、押し殺した斉藤の声が遠い。
泣いてなどいない、と千鶴は反論したかった。ただ、涙が勝手に出て、視界をふさいでいるだけだ。
じっと海を見つめる土方が、微かに俯いた。髪が風に流れて彼の顔を隠す。
「……」
波間に消える山崎に、何かを言おうとしたけれど、喉がつかえて吐息が出ただけだった。
唇から零れた白い息は、ただ朝焼けに溶けて消えた。
□■□■□
それから江戸に着くまでの間、定期的な見回りの時間を除き、千鶴は沖田に付ききりだった。あの脇差事件以来、沖田がむやみに千鶴を遠ざけなくなったことも大きい。
富士山丸は、負傷者が多いためか、敗戦の暗い空気が色濃いが、沖田の部屋にいるときは、外の世界から隔離されて、なんとなく落ち着くのだった。
もちろん、元気なときの沖田にはからかわれ通しで、休まるどころではなかったが。
沖田は、品川に着いたら、近藤、土方と共に医学所へ行くことになる。初めは同道を申し出た千鶴だったが、松本がついていくこともあり、土方から釜屋へ向かうよう指示された。
副長からの書類多数と言伝を受けたのは、もう品川に到着するという朝のことで、その足で沖田の元へ向かうと、沖田はうっすらと微笑った。寝てはいても、幹部の沖田には土方の指示などお見通しだったようだ。
そのまま、少し休むよ、と言って寝てしまった沖田の傍で、千鶴はぼんやりとしていた。
順道丸の隊士たちは2、3日前に入港し、釜屋に宿陣しているはずだ。
あっちの船はどんなだったろうか。
(永倉さんと原田さんが、明るい雰囲気を作ってたのかな。……こっそり平助くんと、酒盛りしてたりして)
千鶴が思い出す原田は、笑顔だ。
避けられる前の、彼がよく構ってくれた頃の記憶ばかりが思い出される。
思い出の中で、彼は優しい。
頭をなでてくれたり、笑いかけてくれたり――
声や、仕草ひとつひとつが好きだったから、鮮明に覚えている。
その幸せな記憶を取り出して、しみじみ眺めていると、原田に会いたくなってしかたなかった。
現実に会えばきっと、避けられて悲しくなる。
でも、こんな風に会えなければ、やはり悲しい。
会いたがっているのは自分だけなんだと思うと、さらに悲しかった。
もう会える、と喜ぶ気持ちと、もうこの時が来てしまった、という後悔に近い気持ちがないまぜになる。
やはり、もう顔も見ずに家へ帰ろうか――――?
「……どうしたの」
すっかり寝ていると思っていた人から聴こえた声に、千鶴は飛び上がった。
「病人のそばで、そんな辛気臭い顔、しないでくれるかな」
「あ、すすすみません」
慌てて謝る千鶴を見て、沖田が、喉の奥で笑う。猫のような笑顔だった。今日は調子がいいようだが、つまりはからかわれる、と感づいた千鶴は逃げたくなった。
「もしかして、小太刀のことまだ考えてたの?――ね、やっぱり僕の持って行きなって」
「それは嫌ですってば!」
わかりやすくからかい混じりな声音に、千鶴も拗ねてみせる。それを見て、沖田はさらに笑った。
「はいはい、もう言わないよ。
――じゃあ、左之さんのことでも考えてたのかな」
「!??」
ぱっと顔色の変わった千鶴を見やって、沖田は不思議な色の笑みを浮かべた。
「ほんと、君、わかりやすいよね」
「な、あ、そ、、え!??」
「はいはい、落ち着いて。僕、人間の言葉しかわからないから」
「だだだだって……!!」
混乱の続く千鶴に、沖田は白い指を1本立ててみせる。
「まず、左之さんと千鶴ちゃんは仲がよかった。これは誰でも知ってる」
さらにもう1本。
「で、年明けの屯所襲撃事件あたりから、なんだか二人とも様子がおかしい。これも皆知ってる」
「……!!……!!」
「まあ、進展したか後退したかって言えば、後退したように見えるけど」
「なななななんで……!?」
沖田がにやり、と笑う。
「なんでって、そりゃあ……まあ、いいや」
「ええええ?!」
「僕にどう見えたかなんてどうだっていいよ。
とりあえず、僕の傍に張り付いて百面相するくらいなら、さっさと下船して、言いたいこと左之さんに言ってきなよ。うっとおしい」
「……言えたら苦労しません」
実に邪魔そうな顔で言われると、今まで自分はどれだけ変な顔をしていたのか、と憮然とするしかない。そんな千鶴に、沖田が目を細める。
「へえ? 左之さんに言いたいことがあるのは事実なわけ?」
「――――!!!!!」
(この人、いじめっ子だ……!!!)
にやにやしている沖田を睨みつけてみるが、それは彼を余計に楽しませただけだったようだ。そのまま沖田の口からは、鋭い言葉ばかりが発せられる。
「どうして。私、耐えてます、って顔で黙り込まれるほうが、よっぽど面倒くさいと思うけど?」
「そんな―――」
反射的に口を開きかけた千鶴に、土方の声がかぶさった。
「総司、千鶴、いるな?」
そのままさっと襖を開けた土方に、沖田は嫌そうな顔で応対した。
「……いきなり開けないでくださいよ。取り込み中だったらどうするんです」
「うるせえな、このクソ忙しいときにしけこんでやがったら、切腹させんぞ」
「しけこむ…?」
疑問符を浮かべた千鶴に、土方が舌打ちをする。
「もう半刻せずに着く。準備しろ。
……それから千鶴、書類はまず部屋へ持ち帰れと言ったろうが。総司のところに持って行けなんざ、指示したつもりはねえぞ」
「すみません!!」
さすが鬼副長とでも言うべき顔で睨まれて、千鶴はこれ以上なく機敏に立ち上がった。
そそくさと部屋を去る千鶴に、沖田の笑い声が追ってくる。
廊下の端まで行ってからちらと振り返ると、ちょうど沖田と目が合った。ひらひらと手を振られて、おじぎでもって返す。
それが、船上で沖田を見た最後だった。
□■□■□
そうして千鶴は、釜屋を目指す。歩幅が小さく、遅れぎみなためか、ちらちらと斉藤が振り返って様子を確認してくれていたが、反応が鈍い自覚はある。
「雪村、大丈夫か」
「……はい」
「そうか」
いつもの斉藤なら、それ以上は何も言わない。けれど今日は、続く言葉があった。
「――あんたはよくやっている。あまり背負い込みすぎないことだ」
いつもよりも少し温かい声に、思わず顔をあげると、ほんの一瞬、斉藤が微笑ってくれた。
「――!!」
彼はすぐに歩みに戻ってしまったから、斉藤が何を知っていて、どうして励ましてくれたのかはわからないけれど――珍しい、縁起のいいものを見た気がする。
沖田も土方も斉藤も、何くれと自分に気を配ってくれている。そのことに勇気付けられて、千鶴も歩みを速めた。
自分は、まだ新選組にいたい。
いても、いいだろうか?
釜屋に着いたら、どんな現実が待っているだろう。
それを受け止めたら、自分は生家へ帰ることになるのかもしれない。小太刀も、家で厳重に仕舞っておけば、誰にも迷惑がかからないのだし。
ただ――その前に一回、原田と話をしてみたい。
いつでも相談に乗ってくれると言っていた彼に、まだすがってもいいだろうか。
あの人は、どんな顔で自分に接してくれるだろう。
現実は千鶴に厳しいだろうか。それとも、まだ修復の余地があるだろうか。
千鶴は、ちらりと自分の小太刀を見下ろす。
これがあってもなくても、自分の本質に変わりはない。
もう一度、あの人が笑いかけてくれることを、わずかに期待して。
千鶴は、釜屋へと足を踏み入れたのだった。
END
(...to be continued...?)
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あとがき
お疲れさまでした。
原田が不知火にやり込められてから、釜屋でのあの引きとめイベントまでの間、結構長いのに、その間どうなっていたんだろう?という妄想から生まれた話でした。この間の原田さんを、極力へたれさせたくないんですが……!難しい。
別名お互いの自覚話。この二人は、ルート前には全く恋愛感情などなくずるずる来ていそうな印象がありますが……どうでしょうね。
時期的にも暗い話ですが、何か感じてもらえたらなあと。
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