すべてを聞き終わってすぐ沖田が発したのは、声ではなく、長い溜息だった。

 
 
たそかれ 03

 
 
 
 しばらくの沈黙のあと、沖田がぽつりとこぼす。
「どうして、きみはそういう大事なことを隠そうとするわけ」
「その……すみません。心配かけたくなくて」
「しちゃいけないわけ? 僕が――――いや、いいや。無事なら、なんでもいい」
 声に責める響きはなかったが、千鶴はうなだれた。
 静かに言われれば言われるほど、身にこたえることもある。
「それで――どうして、君がついていながらこういうことになったのか、聞きたいなあ」
 千鶴に対する静けさとは打って変わって、声に苛烈さが混じる。水をむけられた山崎は、視線を落とした。
「申し訳ありません。俺の認識が甘かったようです」
「甘かったようです? これでもしこの子が死にでもしてたら……! それでも君は、同じことが言えるわけ?」
「申し訳ありません」
「謝れとは言ってない」
 また一段、声が低くなるのを聞いて、千鶴は思わず割って入った。
「山崎さんのせいじゃありません。私が、ひとりで大丈夫だからって――」
「君は黙ってて」
 ぴしゃりと言われ、反射的に身を竦める。声が、痛い。
 戸口によりかかったまま、沖田が腕を組む。あくまで山崎を見つめる瞳は鋭い。
「この子がそういう無謀なことを言うのは予想の範疇だったはずだよね。そういうことを止めるために、土方さんに言われて来たんじゃなかったの?
 何のための護衛か、わかってる?」
 黙って受け止める山崎をなじればなじるほど、沖田の機嫌は、余計に悪化していった。
 沖田自身、わかっているのだ。沖田が動けないから、沖田自身が千鶴を守れないからこその護衛なのだと。
 そして――沖田も今は、護衛される側に甘んじていなければならない状況なのだと。
 
 沖田の苛立ちがわかるためか、何を言われても、山崎は全く反論しなかった。沖田の気が済むまで、言わせておくことに決めたようだ。
 彼は最後にひとことだけ、はっきりと告げて頭を下げた。
「以後は、絶対に雪村を一人では行かせません。それはお約束します」
「――待ちなよ」
 そのまま沖田の横を通って出て行こうとする山崎の前で、沖田が刀の鍔を押し上げた。
 ちん、と鳴った鍔鳴りに、まだ続くのかとはらはらしたのは千鶴だけで――山崎は嫌そうな顔をしながらも、あっさり沖田に向き直った。
 
「さっき、随分長く出てたみたいだけど――もちろん、突き止めたんだよね?」
 
 なんのことかと、千鶴は山崎を見やる。
 彼は、輪をかけて嫌そうな顔を沖田に向けた。
「『長く』……ですか。いつから起きていたんですか、あなたは」
「僕を馬鹿にしてる? 寝かせておきたいんだったら、家のそばに来たら気配ぐらい消すことだね」
「それは失礼しました。考慮します」
「まあそれはどうでもいいよ。それで?」
「……噂では、いかにもな浪人崩れ、髷を結い、髭のない男で、身丈は副長程度」
「つまり?」
「呉服屋と甘味屋の間の路地を入って、四件目かと」
「確証は」
「七割程度なので、明日まで待ってください」
「明日までなら待とうかな」
 ぽんぽんと進む会話の意味を咀嚼しているうちに、軽く頭を下げて山崎が出ていってしまった。
 
「あ……」
 
 何がなんだかわからない。
 山崎を追いかけて聞こうとした千鶴は、沖田に進路を阻まれた。
 腕を一本突き出されただけの、障害にもならないものだったけれど、無視できない。千鶴は、沖田からされたことを無視できたことがない。
 仕方なく止まって、む、と沖田を見上げると、眉根を寄せた不機嫌そうな顔と目が合った。
「な、なんでしょう……」
「なにって。わからない?」
「えっと……」
 やはり、怪我のことを黙っていたのを怒っているのだろうか。
 大きくため息を吐かれて、千鶴は後ずさった。
 別に、本当に逃げようとしたわけでもなかったが、沖田の行動はすばやかった。
 すぐに腕をとられて、引き戻される。勢いで、さっきよりも距離が近づいて、不機嫌な顔が間近になった。
 
 いや、この顔は不機嫌というよりも――。
 
「ほんとに君って子は……」
「沖田、さん……?」
「気をつけてよ。約束して。一人で出歩かないって」
 千鶴の腕を握っていた手に、力がこもる。
 その手が少し震えて感じたのは、おそらく気のせいなんかじゃない。
 
 千鶴は、沖田の大きな手の上に、すっかり傷の消えた左手を重ねた。温かい。
 
「…………心配かけて、ごめんなさい…………」
 
 
 
 ■□■□■
 
 
 
 翌朝、まだ朝餉をこしらえているところに、山崎が入ってきたため、千鶴は大いに驚いた。普段ならば、彼が来る時間はもう少し遅い。
「――沖田さんは」
「まだ、お部屋ですけど。どうしましたか?」
 山崎は、しばし逡巡したようだったが、溜息とともに口を開いた。
「二度手間になる。君も、来い」
「……はい?」
 疑問符を浮かべた千鶴をよそに、山崎は早足で沖田の部屋へと向かっていく。
 
「……入りますよ」
 返事も待たずに襖を開いた山崎を、沖田は動じもせずに迎えた。
 きちんと起きているのを見て、千鶴は目を瞠る。いつも千鶴が起こしに行くと、まだ寝ているのに――どうしたことだろう。
「その勝手さ具合が、誰かさんにそっくりだよ」
「恐縮です、沖田組長」
「――それで、何。こんなに早くから」
「昨日の夜、また辻斬りが出ました」
「へえ、そう。で、新たな情報でも入ったの?」
 不機嫌と無関心を合わせたような沖田の顔を、山崎が睨みつける。
 そんな二人を見つつ、千鶴は腑に落ちないものを感じていた。
 こんなに朝早くから、不機嫌な顔で話し合うような話題だろうか?
 せめて、朝餉のときでもいいのでは――。
 しかし淡々と情報を続ける山崎は、どこか不機嫌で、口を挟めるような雰囲気ではない。
「今までの件とは違い、斬られたのは男。傷口も他の件に比べて格段に綺麗で、使っている刀も、腕も、これまでの犯人と同一ではありえません」
「へえ、それで?」
「斬られた男は、髷を結い、髭のない男で、身丈は副長程度の浪人崩れ」
 沖田の表情を探るように――山崎は鋭い視線を崩さない。
 
 その特徴を、ごく最近どこかで聞かなかったか。
 
「……それって、」
「ああ。おそらく今までの辻斬り犯だ」
 ちらり、と千鶴に視線をくれた山崎は、すぐにまた沖田に向き合った。
「……沖田さん。まだ確証がないと言ったでしょう」
「大丈夫だよ、君の情報は信頼しているし。ちゃんと先に吐かせたから」
「光栄ですね。……悪いとは思いませんが、少しは自重してください。本調子じゃないんですから。だいたい、今日までなら待ってくださると言っていたでしょう」
「そのすぐ体調体調って人を休ませたがるところも、誰かさんそっくりだよね」
「恐縮です、組長」
 全く悪びれない沖田に、山崎はため息をついた。
 
「あの・・・・・・」
 話が一区切りしたようだったので、千鶴はようやく口をはさんだ。
「どういうこと、ですか?」
 正直、なんだかまだついて行けていない。
 ええと、つまり――?
 
 山崎が、少し眉根を下げた。
 端的な言葉を選んでいるのがうかがえる。
「だから……昨日君を襲った辻斬り犯に、沖田さんが制裁を加えた、ということだ」
「え?」
 制裁。制裁ってつまり――
 
「殺し、ちゃったんですか」
 
「うん」
 
 かるく一言で済まされて、千鶴はめまいを覚えた。
 なるほど、昨日の彼らの会話も納得が行く。山崎の帰りが遅かったのも、ぽんぽんと提示された主語のない情報も、全部がここに集約するのだ。
「ていうかさ――千鶴ちゃんに言う必要はなかったんじゃないの?」
「あなたの行動を止める人物が必要ですから」
「君、余計なお世話って知ってる?」
「ええ」
「……もう、今日は帰って。じゃあね」
 心底嫌そうな顔をして、さっさと追い出そうとする沖田に逆らわず、山崎が部屋を出ていく。
 あっと思った時には、玄関がぴしゃりと閉まる音がした。
 爆弾を落とすだけ落として、本当にいなくなる山崎を恨みたくなったが、このままいてもらっても事態は悪化するだろう、と千鶴はあきらめた。どうやら、沖田を止める人物、に指名されたようだったし、それを全うすることにする。
 千鶴とて綺麗事を言いたいわけじゃないけれど、すんなりと受け入れられる話ではないのだ。人ひとりの命だ。千鶴が復讐するならともかく、沖田が奪っていいものだろうか。
 第一、彼は本調子ではない。まさか返り討ちにされたりはしないだろうが――こんな、無茶をするほどのことだろうか。
 
 
 溜息を落とし、あらためて沖田のほうに向きなおると、彼は視線を合わせてくれない。
――少しは、バツが悪いと思っているのだろうか。
 
「どうして、こんなことをしたんですか?」
「どうして? 当然の報いだよ。辻斬りなんてやってる奴は、いつか自分に返ってくるって知っててやってるんだから」
「そんな……そうとも限りません」
「そう? 因果応報、知らない方が馬鹿なんだよ」
 こう、さらりと返されると、人を殺さないよう説得することは不可能に思える。千鶴の、甘い考えを聞いて、沖田が改める可能性など、ないのではないかと。
 仕方なく、千鶴は方向性を変えることにした。
「でも、本調子でもないのに、どうして今日行ったんですか」
「君までそんなこと言うの? 今の僕は、そんなに頼りないわけ?」
「あ、いえ、そうじゃなくて」
 話題の持っていき方を間違ったかもしれない。
 頼りないという問題ではなくて――心配なのだ、と言おうとした千鶴より前に、沖田がまた口を開いた。
「僕の調子なんて関係ない。あいつは、君を傷つけた報いは受けるべきだった」
 
「報いって――だからって、殺していいわけじゃありません!」
 
 思わず言ってしまった千鶴の言葉をうけて、沖田がいらだたしげに彼女を睨む。
「じゃあ、どうしろっていうの? 君を傷つけた人物を、黙って見逃せって?」
「傷もなにも、私の怪我なんて、もう残ってもいませんし、」
 
「それこそ問題じゃないって、どうしてわからないかなあ!!!
 ――ほんとに、君は僕を怒らせる天才だよ!」
 
 あまりの剣幕に、千鶴はびくりと肩を震わせた。
 声が、のどの奥に詰まって出てこない。
 
「確かに傷は治ったね。でも、それは、君がたまたま鬼で、たまたま死ななかったからだ。一撃で殺されてなかったことがどれだけ幸運か、わからない?!
 あんなやつ、殺しちゃって何の問題もない。君が気にすることは何もない!」
 怒りのままに吐き捨てたあとに、言葉もなく首を振る千鶴を見て、沖田は少し我に返ったようだった。
 涙がこぼれ落ちたのを見て、彼は困った顔になる。
「……ごめんね。きつく言いすぎた」
 涙をぎこちなく拭ってくれる親指は、硬い。刀を持つ人の手だ。千鶴はその手に自分の手を重ねた。
「泣かせたいわけじゃ、なかったんだけど」
 ほとんど独り言のように言われると、余計に涙が出る。千鶴のほうこそ、泣きたいわけではなかったが―――我慢できなかった。
 彼は、千鶴が怪我を負ったことを悔やんでいる。守れなかったことを。
 攻撃的な言葉と、過剰な反応は、その裏返しだ。
――そうわかる程度には、千鶴は沖田を見てきた。
「沖田さん……」
「…………ん?」
 心底困ったような苦い笑顔を向けられる。
「……ごめんなさい……」
「どうして君が謝るのかわからないけど……」
 そのままやんわりと抱きしめられる。腕の中に囲われているだけの、緩い緩い拘束。頭の上で、沖田が喋り声がひびく。
「僕は、あんな男の命より、君が大事。だから、止められても同じことをするよ」
「……はい……」
 謝ったのは、こんなにも沖田を悲しませたからだ。
 ちゃんとこの腕に戻れて本当によかった。
「でも、それは君を守りたいからであって――こんな風に泣かせたいわけじゃないんだ」
 泣いている千鶴よりも、沖田のほうがよほど苦しそうだ。胸に沁みるような声で諭されたら、謝っても謝りきれない気がした。
 千鶴が沖田の胸から顔をあげる。ふたりの間に距離ができたのを怖がるように、沖田の抱擁が強くなった。
「ごめんね」
 言いざま、瞼の上に温かくやわらかいものが降ってきた。
 反射的に閉じた眦(まなじり)から、涙が落ちる。それを沖田の唇が追った。
「ちょ……沖田、さ……」
 拒絶しようとした言葉はそのまま呑み込まれた。
 
 
 
 ■□■□■
 
 
 
 上手くいかない。
 泣き疲れて眠っている千鶴を見下ろして、沖田はため息をついた。
 昨夜、久方ぶりに刀を握ったら、思ったよりも体が軽く動いた。薄汚い言い訳を始めた辻斬り野郎を、きれいに一刀で斬り伏せられる程度には。
 それを間違っているとは思わない。
 奴は報復されてしかるべきだ。
 
 ただ、彼女を泣き顔を見ると、他の方法があったのではないかと、柄にもなく思ってしまう。
 
 彼女は小さく弱い。
 けれど、芯のつよい生き物だ。
 しっかりと意思があって、時には沖田の思いもよらぬことを言ってくる。悲しめば、泣く。
 だから、人を無闇に殺すなと言われたら、従うしかない。
――それが、千鶴を悲しませない方法なら、仕方がない。
 
 できるかぎりの方法で守りたいし、正直そのためなら彼女以外がどうなろうと構わないけれど――
 
 
「君が望むなら、努力するよ」
 
 
 千鶴の寝顔に、ひとつ口付けを落とす。
 そして、寝室へ連れていくために、彼女を抱えあげたのだった。
 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
 
 
 
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あとがき
 
江戸療養中。全快直前くらい。
そしてこのあと、薫の変若水事件へと続くのです・・・。





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