1−0.
私立武蔵森学園。
文武両道を謳うこの学園では、クラブ活動が盛んであるが、なかでもサッカー部の活躍は目覚ましく、規模も大きい。
どのくらい大きいかというと、レギュラーである一軍、その候補の二軍、三軍まで存在し、各自に部室があるくらいである。
その三軍の部室の前で、は清潔感の限界を問われていた。
その部屋の状況を、なんと表現したらよいものか。
コンクリートがむき出しの壁は、砂でざらざらしていて、いかにも掃除をしたことがなさそうだ。
同じく床も、もはや足跡がつかないほど、乾いた土がこびりついている。
そこに、雑然と置かれたスポーツ・バッグの山・山・山――
「相変わらず、すごいことになってるわねー・・・・・・」
ドアの前で呆然と立ち尽くしていたは、その声で少し我にかえった。
声の主をちらと振り返ると、先輩マネージャーの東(アズマ)が、の肩越しにその部室を覗き込んでいた。も、つられてもう一度部屋を見渡す。・・・・・何度見ても、汚いものはきたない。
ドアの外には、一応プレートがあったが、かなり根性を入れないと判読できない。
いわく――『武蔵森サッカー部 部室 (3軍)』。
息を。したくない感じ。
部室と言っていいのか疑問なこの部屋に対する、の第一印象は、それに尽きた。
「こんなに、狭いところにあの人数が?」
「いえ、狭すぎて一度には入れないから、彼らは部活の終了時間を5分ずつ区切ってずらすの。もう、ここの扱いは、荷物置き場に近いわ」
東が苦笑する。も、苦笑するほかなかった。武蔵森学園サッカー部の三軍の人数は、半端ではない。こんなに狭い部室では、彼らが荷物を持たずに直立不動に並んでいたとしても、全員入るのかあやしい――というか、多分入れないであろう。よしんば上手く入りきれたところで、それは山手線のラッシュ時と同じ混雑具合を体現しているに違いなく、は想像しただけでげんなりしてきた。
(しかも、異臭がする)
彼女は特別キレイ好きでもないはずだが、床のすみにつもってこびりついている真っ黒のホコリだとか、そこかしこに散っている、昔は白かったのかもしれないが今や茶色を通り越して黒ずんでいる靴下だったものとか、3本脚になってしまっている元・4本脚の椅子だとか・・・・・・そんなものばかりが目につくと、さすがにちょっと掃除したくなってくる。
(清潔感の限界を問われてる気がする・・・・・・!)
視界の隅を、Gさん(黒光りがステキ)が横切ったのを見て、はマネージャー業を引き受けたことを、ほんのちょっぴり後悔した。
殺虫剤と、軍手。
必需品をリストアップしなければ。
なぜ、こんな事態になったのか。ことの次第は数日前にさかのぼる。
□■□■□
が、黒光りするあの虫と格闘する数日前。
その日のはじめ、は、新学期初の週末を部屋でまったり過ごしていた。
突然寮内放送で、お届け物を告げられたときも、まだまだまったり気分だった。
玄関で荷物を受け取り、部屋に帰ると、一週間目の同室者・がドアを開けてくれた。
この一週間でについてわかったことは、さりげない気遣いが上手いということである。
「ありがとう、ちゃん」
「いえいえ。でも、すごい荷物だねえ」
が抱える大きさの段ボールだ。ちなみに、結構重い。
こんなものを送ってくるのは、祖父しかいない。
のぞき込んでくるに手伝ってもらいつつ、こじ開ける。は、差出人が祖父なことを横目で確認した。
同封の手紙に目を通し、荷物を分けていくと、どこかの子供バザーみたいな状況になってしまった。
「こっちが、竹巳のぶんか」
「・・・・・・え?」
「男子部のほうにね、幼馴染がいて。分けてやりなさいってことみたい。
たぶん、おじいちゃんもこんなに厳密に別学だとは思ってなかったんだろうなあと」
武蔵森は、共学とは名ばかりの別学教育で、校舎からして分けられている。共用しているのは特別教室のある西校舎だけ、寮生に至っては、登下校の楽しみさえない。
は女子寮である紅葉寮に、幼馴染の笠井竹巳はサッカー部寮である松葉寮に属しているから、当然入学以来顔も合わせていなかった。
「まあ、ふつう思わないよねえ。でも、どうしておじいさんから?」
「あ、うち、おじいちゃんと二人暮らしだったの」
きょとん、とするに、は笑った。
「まあ、寮なら安全だし、楽だからここに来たんだよね。
その前は、その例の幼馴染の家でよく面倒見てもらってたから、よくつるんでてさ」
「そうなんだ・・・・・・」
だが、この寮住まいも、来年までの話だ。は中3になったら、寮を出て地元の家に戻ることになっている。彼女の祖父が定年退職するのに合わせるのだ。
ただ、ルーム・メイトは一年かぎりだから、そのことをに言う気にはなれず、話題を戻した。
「うん。
・・・・・ってことで、これ、どうしようかな」
「ああ・・・・・・そうだねえ。じゃあ、そのタクミくん?を寮電話呼び出しでもしてもらえば?
校舎の前で待ち伏せるよりは、かなりましだと思うよ〜」
そんなことをしたら、あとでどんな尾ひれ背びれ腹びれまでついた噂が立ち上るか、想像するだに恐ろしい。よっぽどいやそうな顔をしてしまったのか、が軽く噴き出した。
「・・・・・・そうね、電話にする。ありがと、ちゃん」
電話は寮の入り口にある、公衆電話だけだった。
――そして、この電話が、すべての始まりだった。
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