1−3.


翌々日、藤代が着替えて部室から出ると、ミーティングルームの前に制服姿のオンナノコがずらりと並んでいた。着替える前まではいなかったはずの集団に、かなり面食らって凝視してしまう。
「あー、藤代くん!?」
「ホントだー!!がんばってね!!」
「やっほー!!」
よくわからないので、とりあえずへらりと笑顔で手を振って、藤代はグラウンドにいた2年の三上亮に駆け寄った。その後ろから聞こえる黄色い声援に気づいた三上が、こっち来んな、とあからさまに顔をしかめる。
「先輩先輩、あれなんなんっすか?練習中は関係者以外立ち入り禁止なんじゃないんスかね??」
「アホかお前、おととい相崎キャプテンが言ってたばっかじゃねーの。マネージャー候補」
「あー、だから見たことある顔いるんっスかー」
3年生としては、おとといの今日、それも1年生限定なのでほんの数人しか集まらないだろうとの考えで、場所をグラウンド脇の部屋に指定したのだろうが、それは甘かったらしい。
それでもボールを蹴っていられる三上や藤代は幸せだ。面接メンバーである、監督、3年幹部、そして2年の学年長である渋沢は、まだ10人以上もいるあの列全てをさばかなければならないのだ。学年長なんて、ていのいい雑用係改め生贄だ。彼を差し出しているおかげで、他の2年生は全員普段どおり練習にはげめるのである。
だが、と三上はすぐそばで靴紐をなおしている後輩を見下ろした。というより、見くだした。
(渋沢。オマエの尊い犠牲は、無駄になった)
部活始まりのストレッチは2人一組だ。たいていは近い者同士でやることになる。今日の三上のお相手は、間違いなく藤代だ。初っ端からこのうるさい後輩の話すテンションに付き合わされると、必ず最後にスタミナ切れを起こすのである。
(武田のやつ、逃げやがって)
三上は、自分の走りこみ不足を完全に棚に上げた思考で毒づいた。ちなみに数少ない1年一軍の武田健吾は、藤代と組むことが多かったはずだが、今週は週番なのでストレッチには間に合わないのである。
そこに佐山コーチの号令がかかり、三上は予想通り藤代と組んでストレッチを開始した。
始めてみて、三上はさらに後悔した。
自分の柔軟はいい。いつもより会話させられて精神的に疲れたことを除けば、何事もなく終わったと言える。

だが。

「いたたたたたっ!!!痛いっつってんじゃないっすか先輩!どんだけ耳悪いんスか!!」
「っせえ、クソ!!てめえほんとに人間の骨格してんのか!?なんでここまでしかいかねえんだ、酢ぅ飲め、酢!!」
柔軟させるのに、こちらも力いっぱい押さなければならない。加えて、藤代の悲鳴がうるさい。渋沢がいつも、可愛いもんじゃないか、と言っているのを思い出して、三上は身震いした。渋沢の思考回路は、永遠に理解できないし、したくない。
「センパーイ、お酢なんて今どき非科学的〜……ぅおぎゃっ!!」
「非科学的なのはてめえの体だ!!」
「うあたたたたッ!!ギブ!ギブっす!!!」
「三上ィ、ほどほどにしなよ〜」
「全体重かけたら、藤代ポッキリ行くと思う」
わりと本気で悲鳴をあげ始めた藤代を見かねて、根岸・中西ペアがのんびりと口を挟んだので、三上は舌打ちしつつ、どこまでもうるさい後輩を離した。
ちなみに三上がよく組む渋沢は、それこそ人間じゃないと言いたくなるくらい柔らかく、どれだけ押しても、痛いではなく重いとしか言われない。三上自身はいたって平均的なやわらかさのつもりだが、渋沢にはよく固いな、と言われる。それを遙かに凌駕して固いこの後輩は、試合になると、どんな無理な体勢でも、アクロバティックなシュートでも、綺麗にこなすからまた微妙に腹が立つのである。
本気で涙目になっている藤代を無視してマネージャー候補の列を見ると、残りは2人になっていた。
すぐさまさっくり回復し、懲りずにまとわりついてくる藤代を見て、三上は、こいつには学習能力がないんじゃないかと心の底から思った。
「あ!!」
「あぁ!?」
思わず、といった感じで声を上げた藤代を、三上は睨んだ。5分休んで、インサイドのパス練習が待っている。無駄な突っ込みをさせられて体力を削る気は、毛頭ない。
「いや、アイツ、おれと同じ委員会のって奴なんっすけど。珍しいなー、騒いだりとかすんの、興味ない感じなんスよね」
へえ、と三上は生返事してボールを蹴り上げた。ちらりと列のほうを見ると、すごく笑顔で、たまに誰かに手を振っている子と、静かにただただ練習を観察――そう、ただ見ているというより、観察だ、あの目は――している子がいた。おそらく、藤代が指しているのは後者だろう。
「そういう奴、仕事できる奴なら残るぜ。東もそういうタイプだしな」
「アズマセンパイ?あー、確かに、似てるかも」
「っつかお前、委員会なんかちゃんと入ってたんだな」
「朝練なかった日に油断して寝坊したら、朝のHRで勝手に決まってたんっス!!マジでツイてないっすよー!!オウボウだっての!!」
「ちなみに何なんだ?」
「学級委員っす」
「っはあ!!!?」
三上はマジマジと藤代を見た。コレをクラス代表に選ぶ人々の気が知れない。まあ、1年前期のクラス代表なんて、人気投票と同じ様相になるのだからあながち大間違いでもないのだが、いやしかし。
(コレに、人をまとめる能力があると、本気で思われてんのか・・・・・・?)
藤代は、その反応シツレイっすよー、と言いつつも、三上の訝しさ500%な視線もどこ吹く風で、のほうをぼーっと見ている。
そのまま、何となく二人してを見ていると、彼女は一瞬どこかに目を留め、微笑った。つい、つられてその目線の先を追う。
ちょうど一人だけ、に笑い返している人物がいた。
「――笠井?」
「……やっぱり先輩もそう思います?」
が向いたのは2軍が練習しているグラウンドの方で、そこで笑顔を返しているのは他でもない、笠井だけだった。
なんとなく、いけないものを見てしまった気分で、二人は目を泳がせた。
「……ま、アレだ。笠井がちょっと誘ってみたんじゃねーの」
って、誘ったからってカルく頷くよーなタイプじゃないっすよ?? つうか笠井委員会違うし、接点ないっす!!!」
べつに後輩の交友関係に口を挟む気もないので、面倒になってきて、三上は言い捨てた。
「じゃ、彼女なのかもな」
「えええええええ!!!マジっすか!!?」
「うっせえよ、知るか!!いきなり叫ぶんじゃねえ!!」
三上はすばやくあたりを見回し、周りの興味の目を睨み倒した。目の合った部員たちが、冬眠明けのヒグマでも見てしまったかのように、高速で顔をそむける。
話題の当人である笠井やまでこっちを見ているのに気づき、三上は舌打ちしたい気分になった。というか実際、盛大に舌打ちした。無論、図太い某後輩は、カケラもびびった様子がない。代わりに、三上の周囲が半径2メートル空いた。
「クソっ、だからお前と組むのイヤなんだよ!」
「えーそんな、三上先輩つれないっす!!」
ちょうどよくコーチの笛が聞こえ、三上はまだ言い募る藤代に生返事を返しながら、ボールを持って距離をとった。インサイドの練習を始めなければならない。
充分離れてから藤代のほうを振り返ると、視界の端で、がミーティングルームへと入っていった。




□■□■□




部活が終わると、周囲はもう夕暮れを通り越して薄闇に包まれていた。
3軍が片付けるのを尻目に、三上は目当ての人物を探して周りを見回した。非常に背の高い彼の人物は、暗い中でもすぐに見つかるので、楽だ。
「渋沢!」
「ああ、三上。どうした」
「いや、マネージャー候補、死ぬほど居やがったから、どうなったかと思って」
結局、面接組がグラウンドに揃ったころには、部活終了まで1時間も残っていなかった。
部活の大半の時間を心底疲れそうな面接につぶされた渋沢は、いい迷惑だったはずだが、苦笑ではない笑顔を見せた。
「ちゃんと決まったよ。あまりにすんなり行って、正直驚いた」
「へえ。満場一致ってことか?」
「そう。笠井の推薦らしいぞ」
渋沢の言葉に、ピンときた三上がにやりと笑った。
「もしかして、とかって奴か?」
「あ、ああ。よく知ってるな、三上。有名人か?」
珍しく渋沢を驚かせたことに満足しつつ、三上は着替えながら藤代とのやりとりを語った。相槌をうっていた渋沢だが、ネクタイを締めながら、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば彼女、桐原監督の知り合いらしい」
「はあ?そりゃまた、なんで」
「俺の席からは監督の顔がよく見えたんだが。さんが入ってきたら、監督が目を見開いた」
「……あんまり見たい光景じゃねえよ、それ」
「ははは、そうかもな」
「………」
三上の感覚で言わせてもらえば、ここはさわやかに笑うところでは断じてない。
苦り切った顔でネクタイをかばんに突っ込み、ブレザーを羽織らず肩にひっかけて、三上はさっさ部室を出た。先輩に挨拶するときに顔を戻すのだけは、忘れない。ただでさえ目つきが喧嘩を売っているようだと難癖を付けられやすいのに、わざわざ不興を買う趣味はないのである。
渋沢が遅れて追いかけてきたが、三上は、歩調をゆるめるつもりは全くなかった。どうせ、寮でも同じ部屋だ。10メートルや20メートル話をしなかったところで、何の問題もない。
さっさと追いついた渋沢は、マイペースに話を続けた。
「あと、彼女は3年になるときに転校することが決まっているらしくてな。それでもいいか、と聞かれて、監督が真っ先に了承したんだよ」
と監督が知りあいだというネタは、彼の中では途切れず継続しているらしい。
「それ、いいのか?あとあと困るんじゃねーの?」
「まあ、でも当面の目的はゴールデン・ウイークの合宿にひとりでもまともなマネージャーを確保することだったんだからいいんだよ。彼女が3年になるときのことは、彼女と相談しながらおいおい決めていくことにした」
さりげなく他2人のマネージャーが役立たずだと明言したようなものだが、本人には悪意がない。こいつは藤代と同じ人種だ、と三上はため息をついた。正直なだけで悪意がない、というのは、時に非常にタチが悪い。渋沢は基本的に表現がやわらかく、藤代は直球であるが、根本は似通っていることに、はたして本人たちは気づいているのだろうか。



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