1−2.



「要は、来週の合宿だよな」
ストレッチが始まってすぐに、近藤が、あくびをかみ殺しつつ呟いたのに、周囲の皆が同意した。2年1軍メンバーである。
来週はもう世間様はゴールデン・ウィークに入るが、チーム武蔵森は皆で仲良く合宿だ。死ぬほどキツいのは言うまでもない。
根岸が、近藤の背中を押しながら口を開いた。
「合宿でマネージャー少ないとか、ホント最悪だもんな」
「あー、3月の合宿ね」
中西もあの合宿は、どうかと思った。3年のマネージャーの先輩は抜けてしまって、でも新マネージャーが入ってくる前だったため、全然手が足りていなかったのだ。
「あれなー、2・3軍がタオル渡しに来んのとか、マジ勘弁だよな……」
一同、同意して深いためいき。
と、普段なら黙って聞いている辰巳が口をはさんだ。
「俺は・・・・・・あの合宿は、藤代のことしか記憶にない」
「あ?――ああ、辰巳は、ポジション被るもんな」
無言で頷く辰巳・FWに、皆の視線が一瞬集まって、すぐに逸れた。そりゃあそうだろう。あれだけの実力者が後輩として入って来るとなると、戦力的には嬉しいものの、ライバルとしては強烈すぎる。
「まあ、入部テストで渋沢が興奮すんだけのことはあったよな」
新入部員の入部テストは、監督・コーチと、2年生レギュラー陣と、1年学年長だけが見ることのできるものだ。当時の学年長も、当然のごとく渋沢だった。
辰巳の背中を押しつつ、司令塔候補・三上亮は遠慮のカケラもなく続ける。
「俺らは、テスト見てないからアレだけど。あの日の渋沢、部屋帰って来てからすごかったっつかマジでうざかったもんなー。寝るまでずっと藤代フジシロって、締め出してやろうかと思ったわ」
「目に浮かぶ」
心底うざそうな三上に、辰巳が苦笑した。これでいて、三上と渋沢はルーム・メイトとしてなかなか上手くやっているのだ。

ふ、と会話が途切れ、沈黙が地に落ちる。
黙々とストレッチを続ける中、遠く藤代の笑い声が響き、なんとはなしに一同は顔を見合せてしまった。
「あいつ、どうなっていくのかねえ」
「・・・・・・さあ、なるようになるんじゃねえの」
ぽつり、と落とした根岸に、三上が投げやりに答える。
「あれだろ、要は。……渋沢系」

結局、藤代誠二の実力については、皆が認めるところだった。
実際、3月の合宿では、辰巳のようなFWだけでなく、おそらく部員全員が藤代を覚えただろう。当時まだ小学生だった少年は、それほど輝いていた。
おおむね、1軍のメンバーとはうまくいっている。ただ、まだ距離をはかれないだけなのだ。藤代のほうも、そういう雰囲気には慣れているのか、必要以上によく話しかけ、なついてくる。若干うっとおしくはあるが、憎めないキャラクターなので、印象は悪くない。
それでも、2軍の1・2年生FWは、運が悪いとしか言いようがない。藤代が順調に成長する限り、彼らは武蔵森のレギュラーを背負うことはできないのだ。
抑圧された彼らにどう接していくかが、藤代の課題になる――去年、渋沢が同じことで悩んだように。

「まあ、あれだけ上手いとな――生半可な反発は封じ込めるよな」
中西の言葉に、根岸が同意した。
「ん。・・・・・・実際、3軍からはむしろ、あがめられてるみたいよ?」
「それはそれで・・・・・・・」

問題は尽きない。
その場の全員が、そう思った。

ゴールデン・ウィークの合宿が、はたしてゴールデンなものになるか。
それは神のみぞ知る。



□■□■□



その夜、藤代誠二は、ちょっとだけ困っていた。

同学年(2軍)の部屋に呼ばれてゲームをしてたら、嵌められてぼろ負けしたのは、まあいい。
消灯まであと30分くらいしかない中、その罰ゲームでコンビニに行かされるのも、別にいい(寮から一番近いセブンは、中学生男子なら、走れば往復20分の距離だ。まあ余裕である)。
その罰ゲームは、明らかに同級生たちの嫌がらせの産物であったが、そういうことは気にならない性格な自分は得だなあと、藤代は能天気なことを考えながらジャケットを着込んだ。今日はちょっと風が冷たい。
まあ、嫌がらせだろうが何だろうが、自分も雑誌が欲しいからどうせコンビニには行きたいわけだが、
問題なのは――
「笠井」
「・・・・・・」
「笠井ー?」
「・・・・・・」
「笠井ってば!! オレこれからコンビニ行くけどなんかいる?」
「んー・・・・・・」
「うーわ生返事」
藤代の同室者である笠井竹巳は、どういうわけかクラスも同じ、席も前後、という妙な因果で、入学以来一緒にいることが多い人物である。彼について藤代が解っていることはまだ少ないが、基本的に友人に親切な彼が、呼びかけに答えないときの理由は、解った。
笠井は、一度集中しだすと周りが耳に入らなくなるタイプらしいのだ。
彼は今、藤代に背を向けて、雑誌に熱中している。
「おーい!」
寝転がった背中を足先で軽くこづくと、笠井はもぞもぞ動いて藤代を見上げてきた。その顔が、あまりにきょとん、していて、藤代は思わず笑ってしまった。
「ごめん藤、どうかした?」
「うーん、笠井って、マジ集中力あるよなあ。いや、コンビニ。俺、行くんだけど」
笠井はジャケットを着た藤代を見て、時計を見て、それから猫目を細めて微笑った。
「あー、俺はいいや。ありがとね」
笠井は勘がよく、聞きたいことをすぐに察してくれるので、藤代にとって、非常に会話しやすい相手である。寮に入る前に、さんざん兄や両親に、主語・述語・目的語をはっきりする癖を付けろと言われたが全く身につかなかった藤代としては、ありがたいことこの上ない。
わざわざ雑誌をとじて、見送り体勢を取ってくれる笠井にぶんぶんと手を振って扉を開けた。
すると、廊下からクリアな放送が流れ込んできた。

「――号室の笠井くん、電話が入っているので至急管理室前まで来てください。繰り返します――」

藤代が驚いて振り返ると、すでに笠井は起き上がって、パジャマ代わりのシャツの上にジャケットを羽織っているところだった。相変わらず、すばやい。
「何だろうな。――藤代、消灯まで時間あるから、玄関から出るよね?そこまで一緒に行こうよ」
「うんっ!!」



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藤代たち武蔵森サッカー部員の暮らす松葉寮では、外部からの電話は、玄関を上がってすぐ横に位置する、寮監室にかかることになっている。寮監室の電話は、玄関から延びた廊下の突き当たりにある公衆電話につながっているが、これが大変レトロなつくりになっていて、一世代以上昔を思わせる。生徒はもちろん、寮監室には出入り禁止であるため、そちらの公衆電話を取らなければならないが、その一角だけ廊下が妙に暗いので、いささか不評である。
足早に玄関まで来た笠井と藤代をみとめて、寮母さんこと平賀マサ江が電話を示した。
「笠井竹巳くんね?はい、どうぞ」
マサ江が電話の相手を言わないことに疑問を感じつつも、笠井は藤代と離れて受話器を受けとった。藤代はさっさと玄関に降り、靴を履き替えながら、マサ江と二言三言話している。
「はい、笠井ですが」
『――もしもし?竹巳?』
「・・・・・・?」
オンナノコの名前に反応し、マッハで藤代が振り向いたのがわかった。いまさらながら、名前を出さなかったマサ江の気遣いに気づき、笠井は苦笑した。妙に満面の笑顔な藤代に、さっさと行け、と手を振る。

――は、笠井の幼馴染である。今春、同じ武蔵森学園に入学し、今は一般女子寮である紅葉寮で生活している。男女別学なため、ちゃんと話すのは入学以来初めてだ。
『遅くにごめんね』
「いや、全然構わないけど。どうしたの?」
笠井が答えながらも、ちらりと藤代を見ると、名残惜しそうに振り返りながらも、外へと駆けていく姿が目に入った。
『それが、今日うちから荷物が届いたんだけど、竹巳に分けてやれって物が結構あって。おじいちゃんも、まさかこんなに厳密に別学だとは思ってなかったんだと思うんだけど』
「確かに。まさか校舎も離れてるとは思ってなかったよね。・・・・・・おじいちゃん元気?」
『すごく元気みたい』
笑う彼女につられて、笠井も笑った。の祖父は、いつまでも年を感じさせない御仁である。
そのままお互いの近況報告をした。女子校舎からはグラウンドが見えるらしく、はたまに笠井の姿を見かけるようだ。サッカー部の情報は女子棟のほうでも豊富で、有名な先輩の名前は聞く気がないのに覚えてしまったというから、その状況は想像に難くない。
『でも、あの声援には混ざりたくないから滅多に見ないけどね。この学校入って、黄色い声、っていう表現がよーくわかったよ』
本気で嫌そうにしているところがらしく、笠井は苦笑した。同時に、がそういった人々に感化されていないことを知って、安堵した。


が覚えた名前の中には、期待の新人、藤代誠二の名もあって、笠井が同室だといったら少しだけ驚かれた。女子のほうでどんな人物像になっているかわからないので、ごくふつうの明るいいいやつだとだけ言っておいた。これで、少なくともは、藤代に対して変な偏見やら憧れやらを持つことはないだろう。
祖父が数学教授をしているは、悩んだ末に、活動の少ない数学研究同好会に入ったらしい。文武両道を謳う武蔵森は、部活が必須なのである。
数字と格闘するのがわりと好き、という、(笠井からすればありえない思考回路の)は、しかし部活はあまり面白くない、とこぼした。たしかに、日々祖父に相手をしてもらっていたには、同級生はもの足りないし、答えのわかりきった中学数学の延長はつまらないだろう。
と、笠井はあることを思いついた。
「ね、って1組だったよね。三沢亜紀さん、知ってる?」
『うん、そりゃあクラスの子だもの。サッカー部のマネージャーしてる子でしょう?』
「マネージャー、辞めちゃったって知ってる?」
『そうなの?初耳』
そもそもは、噂話には疎い。自分がネタに上がっているときでも、気づいているのかいないのかが周囲にはわからないくらい、気にするそぶりを見せない(実際に気づいていないときと、気づいていながら全く気にしてないときと半々である、と笠井は踏んでいる)。
「それで、とつぜん明後日までに新しくマネージャー募ることになって、知人に声かけろって先輩に言われててさ。
 えっと、唐突なんだけどさ、、やれないかな」
『――はい?』
急でごめん、と笠井が苦笑すると、も電話越しにかすかに笑った気配がした。
『・・・・・・本当に唐突だねー。っていうより、マネージャーってあと2人いなかった? 急募する必要なんてないでしょう』
「よくご存知で――うーん、その、何ていうか・・・・・・」
『ああ、なんとなく解った』

言いよどんだ笠井に、電話のむこうが、今度こそ明らかに笑った。

『黄色い声集団、の一員なのね。マネージャーなのに』
「――するどいですサン」
『竹巳が解りやすいんでしょう』
「ひどい・・・・・・竜也ほどじゃないつもりなんだけど?」
『確かに』
笑い含みに、が応じた。

二人の共通の幼馴染である水野竜也は、考えたことがそのまま顔に出るタイプだったので、それをからかって楽しんだものだった。彼が地元の公立中学に行ってしまったので、今は少し疎遠だが、小学校の頃はよく笠井と一緒にサッカーをしていた。面倒がるを2人して引っ張り込んで、プレイヤーや審判をさせまくったのも、まだまだ記憶に新しい。

「――で。なら、サッカーのルールわかるし、ちゃんと仕事に精出してくれるだろうし」
『まあ、先輩方にみとれて騒いじゃうって柄じゃあないしね。
あ……でも、いいの?』
「うん?」
『私、3年になったら転校しちゃうじゃない。最後まで部活なんてできないよ?』
「あ、そっか、そういえば・・・・・・・忘れてた」
マネージャーの適任者を見つけた、という高揚が大きくて、すっかりごっそり頭から抜けてしまっていたが、転校のことは、だけではなく、笠井自身の親からも言われていたはずだ。
『竹巳――ボケるのはまだ早いから。』
「ごめんごめん! えーと、おじいちゃんと暮らす?んだよね?」
『そうそう。思い出した?』
「ん」
事情まで事細かに知っているはずなのに、なんで忘れていたんだろう、と笠井は苦笑いするしかない。
(俺、まだ若いはずなのに・・・・・・!!)
どうみても中学生にみえない体格の生徒が多いサッカー部内では、トップレベルで年相応だという自負があったのだが。自覚はなくとも、慣れない寮生活(かつ、ヘンな同室者)に、疲労がたまっているのかもしれない。
「えっと、まあ、とりあえずゴールデン・ウイークの合宿に一人欲しいって話なんだ。だからその後は、もう一人入れるなり、後輩育ててもらうなり、なにか考えてもらうから、平気かなと」
『そっか。なら、断る理由はないよ』
「あ、でも一応キャプテンに、3年間やれませんけど、って伝えるから、頼んでおいて何だけど、もしかしたらダメかも。そしたらごめん」
『いいよ、竹巳が謝ることじゃないでしょう。で、私はどうすればいい?』
「明日の放課後、グラウンドの横のミーティング室で面接があるから、それに来てもらえれば。あ、制服でいいからね」
『了解』
「よろしく、ていうかごめん、消灯すぐだね」
『ホントだ。私、同室者に5分くらい出てくる、って言っちゃったのに』
「俺の同室者は今コンビニ。もう帰ってくる、かな」
出かける前の彼の満面の笑みを思い出して、笠井はちょっとげんなりした。保育園から一緒の幼馴染が同じ学園にいる、と正直に言えばいい話ではあるが、格好のネタを与えるだけな気がしてちょっと・・・いや、かなり嫌だ。しかし、他になんと説明していいやら困るものがある。
『ああ、藤代くん、か。元気だねえ』
「うん、ホントに――あ、そういえばおじいちゃんの荷物の話、明日の帰りでいい?」
『――うわやだ、それが本題だったのに忘れてた。うん、じゃ面接のあとに』
「だね。よろしく」
『ん、じゃあ、またね』
おやすみ、と言って笠井が受話器を置くと、マサ江が管理室から顔を出した。
「終わった?」
「あ、ハイ」
「ただいまー!!」
笠井がありがとうございました、と言い終わらないうちに、玄関が盛大に開き、彼の元気な同室者が帰ってきた。外の空気をぞんぶんに吸った藤代は、この上なく生き生きしている。
「藤、おかえり」
「おかえりなさい、藤代くん。消灯はすぐよ、急いでお部屋に戻りなさいね――笠井くんも」
「うぃっス!!」「はい」
微笑んで手を振るマサ江に、藤代がぶんぶか手を振りかえした。手に持ったコンビニの袋が、大きく振られてシャカシャカ、というかガシャガシャ派手に鳴り、周りの目を集めていたので、笠井は止めようとして口を開きかけた。
・・・・・・が、その前にもっと効果的な声が割り込んだ。
「藤代?」
「――渋沢センパイっ!!」
声の方向に一直線で駆けていく藤代は、相変わらずコンビニ袋をうるさく鳴らしている。
「どーしたんッスか? 先輩の部屋、上でしょ?」
「いや、ちょっとコーチとな。・・・・・・お前、消灯前なんだから、少しは考慮しろよ?」
「? はい。ってなにが?」
追いついた笠井が、ため息をつく。
「袋だよ。シャカシャカうるさいってか、周り皆振り返ってたの、気づいてなかった?」
「え? あー、あの視線はそっちかあ」
「・・・・・・は?」
「あ!! やっべ、もう消灯じゃん。俺、これ池谷に渡さなきゃなんないんで! んじゃセンパイ、また明日!! フリー・キック付き合ってくれるの、忘れないでくださいね!!!」
きょとんとした笠井に構わず、言うだけ言って藤代は走り去った。ちなみに袋のうるささは改善が見られない。
嵐が去るのを呆然と見送った結果、立ち去るタイミングをのがしてしまった笠井は、ちらりと渋沢を見上げた。ばっちり目が合ってしまった。
気まずい沈黙が流れる。
「あ・・・・・っと、あ、そうだ」
頭をフル回転して話題を検索し、出てきた話題はこれだった。
「先輩、あの、実は俺の知り合いで、マネージャー候補者がいるんですけど――」



結局、藤代が自分の部屋に戻ったのは、消灯1分前を切ってからだった。


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